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義肢装具士について

●義肢装具士について
 義肢装具士は医療職の中では数少ない「モノ作り」を仕事とする職人気質の職種です。不慮の事故や病気などで手足を失った人々のために人工の手を作ったり、骨折したときに使うギブスや腰痛患者などが腰を固定するために使うコルセットなどを製作することが仕事です。
 世界各地の戦争被災地え赴き、地雷などで手足を失った被災者の義手・義足作りに従事する義肢装具士、あるいは障害者スポーツの祭典パラリンピックに出場する義足の陸上選手やスキー選手をサポートするのが義肢装具士の姿なのです。
 もちろん、それらはごく一部の義肢装具士の姿で、通常は医療・福祉の世界に足場を置き、医師の指示のもと患者・障害者のニーズにあわせた義肢・装具作りにかかわっています。


○義肢装具士に必要な資質とは?
 義肢装具士はオーダーメイドで義肢や装具を製作する、職人的な面を持った仕事です。そのため、もの作りが得意なことに越したことはありません。確かに、義肢装具士になっている人の中には、小さい頃からプラモデル作りが得意だったり、図工が得意科目だったりとい人が多くいます。
 一方で、もの作りは嫌いだった、図工や美術は苦手だったという義肢装具士も少なくありません。しかし、そういう人たちも、苦手を克服するだけでなく、もの作りのプロとして、ユーザーから厚い信頼を得ています。
 実際に義肢装具を作る、養成校での製作実習の授業は、もの作りが好きで入学した学生でも苦労するようですが、もの作りが苦手でも、一生懸命努力するなかで、仕事に対する思いが深まっていけば、苦手ではなくなると先輩たちも言います。最初から「好き」であることより、むしろ義肢装具士になりたいという強い気持ちで、努力できることが大切です。普段から、「もの」がどうやって作られているのか興味を持つ癖をつけておくのもいいでしょう。
 ただ、立ち仕事で重い物も持つので体力が必要なことも確かです。


○コミュニケーション能力は何より大事
 義肢装具士の仕事は、義肢や装具を製作する確かな技術を基本とし、人と触れ合っていく仕事です。ユーザーとうまくコミュニケーションがとれなくては、仕事になりません。第一、義肢装具士が作る義肢や装具は、究極のオーダーメイドですから、ユーザーが本当に望んでいることを聞き出す能力がなくては、決して良いものはできあがりません。良し悪しを判断するのはユーザーです。使っている本人にしか、それが身体に合っているのかどうかはわからないのです。
 ユーザーとうまくコミュニケーションがとれず、信頼関係ができていないと、理論上はどんなに良い義足であっても、ユーザーは「痛い」と感じます。また、実際に痛くても、ユーザーが遠慮をしてそれを教えてくれないこともあります。
 義肢装具士が関わりをもつユーザーは、病気やけがなどで義肢や装具を必要としている人たちです。場合によっては、手術で手足を失った直後の、心がとてもデリケートなときから関わることになります。言葉の一つひとつに心を配ったコミュニケーションが望まれます。
 また、対ユーザーだけでなく、医師や療法士など、スタッフとのコミュニケーションも、チームで医療を行ううえで大切になります。
 小手先のコミュニケーション技術ではなく、ともに目標に向かって努力したり、一緒に喜ぶことができたりという、相手の立場に立った心からの接し方ができることが重要になります。


○義肢装具士の歴史
 義肢・装具は、実はかなり古くからあったことが分かっています。エジプトのミイラがつけていた紀元前300年頃の義手や木製のかかとの義足などが発掘され現存していたり、孔子の書などいろいろな書物や史実から、紀元前1500年頃頃まではさかのぼって確認することができるのです。一説には、人類の文明が誕生した1万年前にはあったと推定する学者もいるほどです。
 その長い義肢・装具の歴史の中で最も有名なものとして知られるのは、「ゲッツの鉄製義手」と呼ばれる義手です。これは16世紀ドイツ、騎士ゲッツが戦いで失った右手の代わりに作らせたもので、ゼンマイ仕掛けで指の曲げ伸ばしはもちろん、手首を曲げることもできた本格的なものだったといわれ、ゲッツは右手を失った後もその鉄の義手で、剣を振るい功績をあげたと伝えられている。ちなみに、このゲッツの義手の話は、18世紀になって、詩人ゲーテが処女作として著した戯曲「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」によって広く知れ渡ることになりました。
 世界の義肢・装具の歴史は古代からルネサンス時期までをひとつの区切りとします。以後、18世紀の産業革命、19世紀に発明された麻酔技術、20世紀に入って培われた臓器移植といった外科的医療の進展とともに積み重ねられていき、2度にわたって起きた世界大戦がとくに義肢への需要を高め、技術の進歩に大きく影響しました。
 ちなみに日本はというと・・・
 日本の場合も同様に、戦争あるいは戦後は労働災害を中心に、その歴史は培われてきました。日本に本格的な義肢・装具の技術が入ってきたのは、オランダ医学が入ってきた17世紀以後で、実質的に受け入れはじめたのは幕末の頃というのが定説となっています。
たとえば、幕末から明治初期にかけて活躍した女形歌舞伎役者・三世田之助は、日本で初めて義足をつけ舞台に立った役者として知られ、その姿が絵図「田之助義足図」として残されていたり、西郷隆盛の長男菊五郎が西南戦争で右足を切断しアメリカ製の義足を装着していたことや、早稲田大学を創立したことでも知られる大隈重信も、アメリカ製の義足をしていたことが記録されているのです。
また日本に義肢装具士が誕生したのもこの頃で、日本初の義肢・装具製作所の奥村済世館が大阪の歯科技工士・奥村義松によって設立されたのが1877年。同社は総合的な医療機器メーカーでしたが、1902年には自身も足を切断した鈴木祐一氏が、日本初の専門書となる「義手足纂論」を執筆し、東京に義肢専門の日本義手足製造株式会社を設立しました。同社は現在もトップメーカーとして営業を続けています。
幕末から明治にかけては、日本に西洋医学を柱とする近代医療が持ち込まれ、医師をはじめさまざまな医療職が誕生した頃です。義肢装具士も同じ頃に誕生し、すでに約100年の歴史を重ねていることになるわけですが、国家資格としての義肢装具士誕生は1987年、第1回の試験が行われたのは1988年とごく最近に過ぎません。
 資格化が遅れた背景には、その身分と職が医療機関ではなく民間会社に根を置き確立されてきたこと、また2度の世界大戦を経る中で、職としての位置づけが戦争で手足を失った傷痍軍人を対象にした社会復帰を図る福祉的なものと確立されてしまったことが大きいといわれています。